「牛痘害あるの弁」
「牛痘害あるの弁」/細井賦主税 嘉永5年(1852) 26x40cm
牛痘の害を説き批判している。牛痘の普及に対しては、漢方医の蘭方医からの弾圧があった。漢方医はこのちらしの中で「発症していないが、潜伏している病気を種痘によってうつす事になる。種痘をする事で其の感染は数百人に及び、悪液に混らせて血統を汚し、祭りが絶える。つまりは、子孫が絶えることは国家に不忠であり、先祖に対して不孝ではないか」と主張した。
Z24051:くすり博物館収蔵資料集(4) はやり病の錦絵 P.29